【レポート】10月30日ふじの里山ウォーキング

10月30日㈯、秋晴れに恵まれ心地よい気温のなか、『ふじの里山ウォーキング〜小さな神々を眺め楽しみながら里山を渡り歩こう』を開催しました。

コース詳細はこちら↓をご覧ください(イベント案内ページ)。

【ふじの里山ウォーキング(10/30)】小さな神々を眺め楽しみながら里山を渡り歩こう

Contentsイベント概要開催日時コース参加費申込方法定員服装・持ち物ガイドその他お問い合わせ主催 イベント概要 藤野の山をよく知る山岳写真家 三宅岳さんのガイドで、地…

タイトルにあるように、今回のウォーキングは藤野の山々で祀られている神様をいくつも巡り、歴史や文化を知る1日となりました。

藤野駅からバスで小津久へ

7:45と朝早めの集合かつ、バスの出発時刻が8:1*で逃したら次のバスがないという時間厳守のなかでしたが、一人も遅れることなく集合し、予定通り奥牧野行きのバスで出発。

土曜日の朝8時ですが、藤野駅はハイカーで大賑わいです。ほとんどのハイカーは陣馬山がお目当てのようで、和田峠行きのバス停は長い行列、そしてバスは満員。

一方でわたしたちが向かう奥牧野行きのバスは、ハイカーはわたしたちのみでしたので、ゆったりと乗れました。

ちなみにこの奥牧野行きのバスは、一旦藤野やまなみ温泉へ向かい、そこでUターンをして塞の神まで戻り、そこから奥牧野へと向かっていくルートとなっています。

塞の神のバス停以降は『自由乗降区間』という制度を採っているので、『降りたい所で降りて、乗りたい所で乗る』ことができます。この自由乗降区間の制度を国内で最初に採用したのが、このバスルートとのこと。

『ふじの温泉病院』は大昔『小津久病院』と呼ばれていました。

小津久のバス停から、登山道へと入りました。

厄神様

まず最初に向かったのは『厄神(やくじん)様』のお堂。厄除けの神様が祀られており、品川に本尊があるらしい。

位置的には、小津久と吉原(きっぱら)の間くらいで、当時はこの集落にてお祭りが行われていたそうです。いつのものかはわかりませんが、お堂の横には酒盛りをした跡が残っていました。

住民による手入れが行き届かず、お堂を山の下に降ろす話も出ていましたが、そのまま今の場所に留まることになったようです。

金比羅様

次に向かったのは、金比羅(こんぴら)様。

鉄塔のあるところから金比羅様までは、深い藪をかき分けながら登っていきます。なお、事前にガイドの三宅岳さんが下見で現地を訪れ、参加者が歩きやすいように藪を払ってくれていました。ありがとうございますm(_ _)m

山のてっぺん、藪に囲まれたところにひっそりと、石が立てられていました。相模川の安全を祈願して祀られたものと言われています。

藤野ではこのように、神様が高い山の上にお祭りされていることが多いとのことです。

秋葉大権現

改めて藪深い道を下って鉄塔に戻り、方向を変えて引き続き藪が続く山道を進みます。

運営スタッフが藪払い用に草刈り鎌を持参していたので、先頭で藪を払いってもらいながら前進。

途中、TVアンテナが何本も落ちており、これらはデジタル放送に変わる前のアナログ放送時代、電波を拾うために各家庭が山の高いところへアンテナを設置していたが、不要になったのでそのまま放置されているもののようです。

今はどこで買えるかもわからない、1リットル瓶のSpriteも落ちていました。笑

藪で道を見失いそうになりながらも進んでいくと、突然、石碑が現れました。

石碑は横に倒れており、かなりの重さで立て直すのは難しかったです。

これが『秋葉大権現(あきばだいごんげん)』。火災守護のために置かれたもの、火除の神様です。

石碑の周りには、直径3メートルの石積みが施されていました。

毎年4月の祭日が雨のときは、麦竿を持参してこれを燃やし、雨雲を払う習慣があったようです。

石碑には、この地域の名前(小津久(おづく))が『尾続(おづく)』と書かれており。漢字の書き方が今と昔で違ったことを知り、参加者みな、時間の長さや歴史を実感していました。

三枝神社

秋葉大権現をあとにして、引き続き藪の道を突き進みながら山を降りていった先に、三枝神社がありました。「日吉神社だと思われる(三宅岳さん)」とのこと。

ここで小休止を取り、小津久バス停へ戻ります。

今度は、朝向かった山の向かい側、峰山へと向かいます。

飯綱権現

こちらも、山に入ったところでいきなり、倒木と藪のアーチが。

這うようにしてアーチをくぐり抜け、上へと登ります。

黙々と登り続けると、突然開けた場所に出ました。ここが飯綱権現(いいづなごんげん)です。『牧野堂ヶ尾山の標高約400メートル』の神社であると、昔の資料に記載あり。

昔、民有地との境界争があり何年も決着がつかなかったところ、ある年の夏、神社一帯に紫色の雪が降り、この不思議な現象に住民が驚嘆。「霊験あらたかな神によってこの降雪があったものだ」とし、長く続いた境界紛争が決着したという言い伝えが残されています。

お祭りは毎年4月15日に行われ、祭典も盛大で神馬なども出て賑わっていたとのこと(現在は行われていません)。

社を覆うコンクリート造りは、昭和40年の施工。

ここは社が2つあり。祠の中には丸石が積んであります。山梨県の道祖神の丸石信仰が、ここ藤野にも伝播していたようです。

峰山

飯綱権現で小休止を取り、峰山山頂を目指します。

今回のウォーキングは、急な勾配がところどころにあり。特に峰山は、地元の人たちお墨付きの急勾配コースです。

画像左から『雨神』『龍神』『風神』の順に並べられています。

山頂に行く手前に、雨神・大龍王・風神の石碑が置かれていました。五穀豊穣を願って建てられたものと言われています。

この石碑の先が、峰山山頂。

昼食後に三宅岳さんから峰山と古峯神社に関する話を伺いました。

山頂には火防の神様として、『古峯神社』が建立されています。

山頂の案内板には「明治の初めにできた」と書かれているが、「実際は江戸時代からあったのではないか?」とも言われているようです。

当時の写真(A4サイズに拡大コピーしたもの)も紹介いただきました。

この社は、2014年に建て替えられたもので、新しい社は地域の人達によって神輿の格好でここまで運ばれてきました。

今でも信仰が続いており、毎年5月3日に地域の人が集まり、この場で食べたり飲んだりして夕方に戻るという例祭が行われています。

ちなみにここで、山々を眺めながら昼食。

富士山もバッチリ見れました。

藤野やまなみ温泉入り口まで下山

出発時、奥牧野へ行くバスがUターンする場所として利用していた『やまなみ温泉入り口』バス停付近へ下山。

本日のウォーキングはここで終了・自由解散となり、近くの藤野やまなみ温泉へ行く人、バスで帰路につく人で分かれました。

当初の予定より下山が1時間ほど延びましたが、

「ハイキングコースや地図には載っていないコースを味わえて、とても楽しめました」

「これは地元の山道を知り尽くしていないと、絶対に行けないコースですね」

といった感想を参加者の皆さまからいただいたので、ウォーキングを楽しんでいただけたものと思います。

次回は来年(2022年)の3月に予定しています。内容はこれから企画しますので、来年の発表をお待ちください!

番外編その1〜炭窯跡

牧野地区では以前、炭焼きが行われていたので、コース途中にいくつか炭窯跡がありました。

こちらは小津久から厄神様へ登る途中。直帰4〜5メートルくらいのくぼみが残っていました。

こちらは峰山からの下山途中にあった炭窯跡。案内板が立てられていました。

カシノナガキクイムシがナラの木に入り込んだあと(木くずが出ます)。

昔はナラの木を炭焼きに使っていたので、今日のコース途中で何度も見かけた「ナラの大木(育ちすぎて幹が太くなったもの)」はなかったようです。

炭焼きのために木が伐採され、それが間伐の役割を担い、地面には下草が育つ。こうした循環により里山の景観が守られていたようですが、その炭焼きが衰退していったために循環が止まり、木はひたすら育ち、太陽を求めて上へ横へひしめき合うように枝葉を伸ばし、地面の太陽を遮る状態になっています。

ふじの里山くらぶとして『炭の活用』を考えていけないかと、新たなテーマが見つかった感じです。

番外編その2〜里山が荒れている

炭焼きに限らず、山を日常的に整える人が減少していることも影響し、山道の荒廃が至るところに見られました。

山の中に入ると、光が当たらず、むき出しになった地面や斜面があり。

下草がないので、雨が降るたびに土が雨水とともに流れ落ち、地面が削られていっている状況。樹の根が見えてしまってます。

土が流れ落ちて、石だらけの道も。山頂へ行くほど、山の水分が失われていっている感覚で、地面がカラカラな感じでした。

陽が当たるところはだいたい、篠竹が群生している状況。

金毘羅様から秋葉大権現へ向かう道は薮化が進んでおり、「このまま何も手を入れなければ、あと5年くらいでこの山道はなくなる(三宅岳さん)」可能性の高い場所も。

山の中の状況は、今年(2021年)2月から毎月実施している『森の再生活動』の現場(CoToLiの森)とよく似ていました。

小さなシャベルひとつでできる大地(森)の再生活動 - 気候変動の藤野学

相模川流域では林業の担い手が減り、森や山が手入れされずに荒れた森が至るところに存在します。土壌はコンクリートで固められ、空気と水の循環が止まり生命力を失ってい…

「同じことが起きている」ということは、「森の再生活動で行っていることがこの場所でも有用である」ということだと認識。

里山を後世へ残していくために、この活動を藤野地域でも展開していけるよう、企画を進めていきたいと思います。