2022年3月に最新版が発行されました相模原市のハザードマップを手に、藤野小学校の正門前から藤野芸術の家まで約2kmのあいだにある土砂災害の起きた場所を直接見て、今後の災害リスクを検討するウォーキングです。
幼少期から藤野で過ごして50年の人、移住して20年ほど藤野で生活している人、最近移住して来た人とバランス良い参加メンバーとなり、お互いの情報や視点を持ち寄って現地の状況を考え、気づき、学び合う時間となりました。
藤野小学校〜台風19号で崩れた場所へ
藤野小学校を出発して、2019年の台風19号で土砂崩れが起きた場所へ向かいます。
小学校から200mほど歩いたところに早速レッドゾーンが。
金剛山方面へ向かうと左手に長い擁壁があり、この擁壁の上はレッドゾーンになっていました。
擁壁が途切れたところが台風19号で崩れた場所で、矢印の方向へ土砂が流れ落ちていったようです。
金剛山の登山口付近
ついで、金剛山の登山口に来ました。
ここは大雨になるたびに、画像の階段から大量の水が流れて来て道路が川のようになります。
鳥居のほかに祠もいくつかあり、昔から水の通り道であったのではないかと思われます。
ここで、参加者の一人の呼びかけで登山道を少し入って水路を見にいくことにしました。
この登山口があるところより一段低いところにご自宅があり、家の隣を水路が通っています。
雨で膝下くらいの水量が水路を流れると、「コト、コト」という音とともに石が流されてくるようで、その音が「なんとも気味が悪い」とのこと。
実際にどんな水路なのかをみんなで見にいったところ、、、砂防ダムらしきものと三面張りの水路が。平成9年(1997年)度に作られたと標識に書かれていました。
この山道をさらに上へ登っていくと、ここにも擁壁ができているようで、昭和57年(1982年)の台風で土砂崩れが起きたあとに土木工事で設けられたものだそう。
ちょうど谷間にこの砂防ダムと水路が作られており、この水路に向かって右側の山が杉林で、雨のたびに土が流されている状態に。
土が流されて土中の岩が多数露出し、それらが水路に落ちて下流(参加者さんの自宅横)へと転がっていくことがわかりました。
昭和57年台風で崩れた現場
登山口に戻り、昭和57年(1982年)の土砂災害ポイントへ。
当時多くの被害が出た場所も、今は多くの家が建てられています。
「この地区(田代地区)は水がよく出る(この地区にお住まいの参加者さん談)と言われていた」場所。
昔は一面が田んぼであったようなので、水が豊富なエリアとのこと。
ここも道路や家屋により水の流れが堰き止められ、地盤が緩くなったことで崩れたのでは?といったことを考察しました。
2019年に崩れた現場付近
最後は赤沢地区の土砂災害場所へ。
その赤沢のバス停手前にある擁壁を見て、みな足を止めました。
なんと、斜面の土が剥げ落ちて、抉られている状態になっています。
かろうじて木の根が支えているようで、今こうして見ている瞬間にも崩れ落ちて来そうな恐怖感を参加者みんなで共有。
ハザードマップを見ると、このエリアはレッドもイエローもなし。これはどういう意図なのかは今後担当の人に聞いてみたいと思います。
そして、この先に避難場所である藤野芸術の家がありますが、その手前に大きなリスクがありそうです。
赤沢のバス停を超えて災害があった場所へ行くと、コンクリート擁壁の工事が進んでいました。
もともとハザードマップではイエローでもレッドでもなかった場所が崩れたということで、何が要因であったのかを現地で考察してみましたが、これという解は見出せず。
ただ、ここまでの現場体験を通じて、水脈を道路やコンクリートで切ってしまっていることが要因のひとつであろうことは参加者の共通理解になりました。
参加者の感想
12時前に藤野芸術の家に到着。
約2.5時間のウォーキングで気づいたことや感想をシェアして解散。
以下、参加者の感想です。
- 赤沢の崩れたところは杉林ではなく、見た目には広葉樹の場所でした。そこがどうして崩れたのだろう?という問いが浮かんだので、今後色々と調査してみたいです。
- 実りの多い会でした。ここまで情報得られるとは思わず、山の斜面への見方が変わりました。
- 土砂が崩れるには然るべき理由があることがわかりました。
- 普段は車や徒歩で行き来しているところだが、注意深く見てみるとこうなっているとは思いませんでした。自然の脅威を感じました。
- 赤沢の手前のところに崩れそうな場所があることを知り、本当に危ないと思いました。藤野芸術の家が避難場所になっていますが、そこに至るまでにもリスクがあることを認識できました。
- 今の山の状態を変える手段として、森の整備の方にも関心が湧きました。
ご参加いただいた方一人一人が大きな気づきを得られたウォーキングとなりました。