【レポート】甲州道中のお雛様展

レポート

2022年2月12日(土)〜2022年3月13日(日)までの吉野宿ふじや企画展、『甲州道中(相模湖、藤野、上野原)のおひな様展』が無事終了しました。

>>おひな様展の内容はこちら↓

期間中は600名強の方にご来場いただき、誠にありがとうございました。

今回はスタンプラリーを同時開催していましたので、スタンプの台紙を持って各博物館を巡られている方も多く見られ、特に土日は多くの人で賑わっていました。

展示されていた内容を一部、こちらのレポートで紹介させていただきます。地域の方にお借りして展示させていただいたおひな様には、その方のコメントも添えていますので、ぜひご覧ください。

享保雛

藤野のN家に伝えられた享保雛(きょうほびな)です。1716年から1736年が享保時代ですから、約300年間生き続けていることになります。ある夜、泥棒がN家に入ったところ、この享保雛が光って見え、泥棒は何も取らずに逃げ去ったという話が伝えられているそうです。

江戸時代、八代将軍吉宗公の時代の享保年間に京都で生まれ各地に広まったおひな様です。大きさもはじめは寛永雛と同じようなサイズの20cm以下だった大きさが、各地に広まると同時に次第に大きくなって60cmくらいあるものまで作られるようになりました。その後、景気が悪くなり、緊縮財政を強いられ、人形にも制限が設けられ小さなものが多く作られるようになりました。その後時代が変わっても享保雛の形は作り続けられました。

大正時代のおひな様

大正時代のおひな様①
大正時代のおひな様②

昭和のおひな様

柿の葉で作ったおひな様

この三体と五体のおひな様は柿の葉で作ったものです。私の出身地上越市(新潟県)では子供の遊びとして柿の葉のおひな様づくりがありました。94歳になった今でも作り方は覚えています。作っていると自然と昔のことと懐かしい友の顔が浮かんできます。(相模湖在住Yさん)

相模湖在住Yさん
昭和33年のおひな様

私は9人兄弟の1番上、昭和33年初孫の女の子のために実家の父がオートバイで上野原から買って届けてくれました。両親や家族の喜ぶ顔が今でも目に浮かびます。そんな思い出の品を何十年ぶりに飾っていただきありがたいことです。埼玉に住んでいる娘にも知らせます。きっと大喜びするに違いありません。

日連在住Aさん
上野原のおひな様

昭和20年生まれの私のために、おひな様を購入しようにも、戦争のため新しく作ったおひな様はなく、何年か前のものを手に入れたと聞いています。毎年飾ってもらえるのが嬉しく、近所のお友だちも毎日のように見に来てくれて、このおひな様の前で遊んだことが思い出されます。この展示で70年振りくらいに再会できたことがありがたく嬉しいことです。それにしても毎日の生活も大変な時代に、私のためにおひな様を求めてくれた父や母、家族に感謝のほかありません。

上野原市在住0さん
昭和10年のおひな様

ひな祭りについて

女の節句といわれる3月3日の『ひな祭り』は『三月節句』『ひな節句』『桃の節句』とも呼び、女児が生まれると『ひな人形』の風習が近頃盛んになりました。

ひな祭りには、家庭で内裏びなを中心として、桃の花や白酒、菱餅、ひなあられなどを供えますが、このように美しい人形を中心にした『ひな祭り』ができるようになったのは、室町時代に中国から胡粉を塗る技術が入ってきてからです。

やがて立派な人形ができるようになり、徳川時代の中期に京都の公家から内裏びなの人形を中心にひな人形にしたひな祭りの行事が武家に広がり、一般庶民へと普及したのです。しかし、それが全国的になったのは、明治以降の新しい風俗だったことは案外知られていません。

「年に一度のひな祭りに、不精して箱から出して飾らないと、おひな様が泣くよ」という言葉を幼い頃に聞きましたが、それは節句が済んだらまたしまうような立派な人形ができてからのことで、昔むかしのひな祭りは、行事が終われば川へ流す、流しびなでした。

今でも3月3日の夕方、ひな祭りの供え物を添えて、桟俵(さんだわら)に乗せて川や湖に流す岐阜や鳥取の流しびなは、赤い紙の着物を着た、素朴な夫婦(みょうと)びなです。

『ひなおくり』『おくり節句』の習俗は他の地方にもあります。ひな人形の人形は『ひとがた』であり、『流しびな』とは、身についた汚れや災いを人形に移して水に流した神祭りの行事であったと考えられます。(矢島せい子の『くらしの歳時記』労働教育センターより)

ひな祭りに食べる食べものと意味について

「ひな祭りに食べる食べ物は?」と聞かれたら、何を浮かべますか?

きっと多くの方から「ちらし寿司」という答えが返ってくるかと思います。

ひな祭りは毎年3月3日に女の子の健やかな成長を祈る行事です。食べ物も古くから伝わる祝い料理があります。食材には春の旬のものが使われ、それぞれの料理や色には縁起のいい意味が込められています。

ちらし寿司

ひな祭りといえばちらし寿司!というくらいに定番の食べ物ととして浸透していますが、このちらし寿司はもともと祭礼の日の料理として作られることが多かったもので、ちらし寿司そのものに謂れはありません。

それじゃあなんで?と思われるかもしれませんが、ちらし寿司は使われている具材に意味があります。

  • 海老:腰が曲がるまで長生きしますように
  • れんこん:将来の見通しが良い
  • 豆:健康でまめに働きまめに生きる

などです。

はまぐりのお吸い物

昔から二枚貝は『お姫様』を意味していました。中でも『はまぐり』は、二枚対になっている貝殻でなければピッタリ合いません。

このことから仲の良い夫婦を表し、一生一人の人と連れ添うようにという願いが込められています。

菱餅

緑と白とピンクの餅を3段に重ねて菱形に切ったものが菱餅です。おひな様にもお飾りに混じって菱餅が飾られてますね。

菱餅が菱形になったのは江戸時代初期のことで、3色になったのは明治時代に入ってからになります。それ以前は緑と白の2色でした。

菱餅に使われている3つの色にはそれぞれに意味があり、諸説ありますが主なものをまとめてみると、

  • 緑:長寿や健康、草萌える大地
  • 白:清浄、純白の雪
  • ピンク:魔除け、桃の花

となり、3色合わせての意味合いは「春近い季節、雪の下には緑の草が息づき始め、とけかかった雪の残る大地には、桃の花が咲く」という、とても風情のあるものです。

また、緑の餅にはよもぎ、白色にはひしの実が入り、ピンクの餅の色づけにはくちなしが利用されます。それぞれ、よもぎには増血作用、ひしの実には血圧を下げる効果があり、くちなしには解毒作用があると言われています。

菱餅には、愛する娘の健康を願うという親心が込められていたのかも知れません。

ひなあられ

その昔『ひなの国見せ』という、ひな人形を持って野山や海辺へ出かけておひな様に春の景色を見せてあげるという風習がありました。その時に、ご馳走と一緒に持って行ったお菓子がひなあられです。

ひなあられは、菱餅を外で食べることができるようにと、菱餅を砕いて作ったという話が残っています。

言われてみると、ひなあられは菱餅と同じ3色ですね!

これらの色はそれぞれ

  • 白:大地のエネルギー
  • 赤(桃色):生命のエネルギー
  • 緑:木々のエネルギー

を持っています。

ひなあられを食べることで自然のエネルギーを体内に取り込み、健やかに成長できますようにという願いが込められています。

ひなあられには、白・黄色・桃色・緑と4色のものもありますが、この4つの色は四季を表していると言われています。

白酒

もともとは、桃の花びらを漬けた『桃花酒(とうかしゅ)』が飲まれていました。

桃は古くから、「邪気を祓い気力や体力の充実をもたらす」と言われており、桃花酒は薬酒のひとつとして中国から伝えられました。また、桃が百歳を表す『百歳(ももとせ)』に通じることから、桃花酒を飲むという風習がありました。

桃花酒が白酒に変わり、定着したのは江戸時代です。当時、白酒を売り出したのは『豊島屋酒店(鎌倉市に現存)』で、聞くところによると「豊島屋の初代の枕元におひな様が現れて、美味しい白酒の造り方を伝授された」のだそうです。

この話が江戸中の評判となり、徳川将軍にも愛飲されるようになりました。

女性にも飲みやすい白酒は、桃の花との対比(赤(桃色)白)もめでたい!ということも手伝ってひな祭りのお酒として定着していきました。

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