[レポート] 藤野の今むかし巡り

2023年12月9日(土)、晴天に恵まれ、藤野の今むかし巡りの1Dayバスツアーを開催しました。

コロナ禍で中断して以降、5年ぶりの開催です。

これまで、藤野にある歴史建造物や古民家を巡る『古民家ツアー』として十数回ほど開催してきましたが、コロナ禍の中断期間中に企画を練り直し、リノベーションした古民家なども取り入れて「藤野の今と昔を辿る」ツアーへリニューアルしたものになります。

事前にお申し込みいただいた方のキャンセルもなく、予定通りに藤野中央公民館を出発し、里山長屋へと向かいます。

里山長屋

里山長屋全景(2023年12月)
里山長屋全景(2023年12月)

名倉地区にある里山長屋にて、長屋の建築を担当した山田貴宏さん(株式会社ビオフォルム環境デザイン室 代表取締役)にお話を伺いました。

共有スペース
共有スペース

共有スペースにて、コンセプトや構造を詳しくご説明いただきました。

この長屋には、地元との大工さんによる伝統的な作りを取り入れており、例えば柱と柱は「はしご」のように組み合わせる「抜き」の工法が用いられ、建物全体がしなやかな作りになっています。

壁面は土壁で、竹を編んで粘土→藁→砂を用いて作られています。

砂を入れないと、壁が割れてしまうそうです。

この土壁は住民と参加者によるワークショップ形式で作り上げたとのこと。

2010年春〜秋にかけて、毎週末に20〜30名ほど集まって行っていました。

竹は篠原(相模原市緑区篠原地区)まで切りに行き、みんなで採って、割って、切って。

骨組みを大工さんが担い、壁などをみんなで行う、ハーフビルドの建物です。

共有スペースに土壁の断面モデルが展示されています
共有スペースに土壁の断面モデルが展示されています

山田さんからは、木と土による断熱・蓄熱のお話も聞かせていただきました。

木と土は「消湿する」性質で、夜のうちに風を通すと午前中の建物内はひんやりするので、夏場はエアコンがなくてもほぼ生活できるとのこと。

逆に太陽などで熱を入れておけば土が熱を蓄えるので、朝方もほんのり温かさが残っているようです。

土壁を見直す機会になりました。

今回お話しを伺った共有スペースは、コモンハウスとして、住民同士で食事会をしたり、ワークショップや来客対応、長屋住民のゲストの寝泊まり(共有のお風呂やゲストルームあり)で利用されています。(住民の関係者以外の方の宿泊はできません)

陶器市の会場にしたこともあるようです。

「互助のコミュニティ暮らしの提案と実験の場」として、この長屋を建てられたとのこと。

これからの持続的な暮らしのモデルになっていくように感じました。

>>里山長屋の詳細はこちらからご覧いただけます

大石神社

大石神社全景(2023年12月)
大石神社全景(2023年12月)

篠原地区へ移動して、大石神社へ向かいました。

周り舞台があり、昔は村歌舞伎が演じられていた場所として、藤野では有名なところです。

2階が楽屋になっており写真右手に太夫席があります
2階が楽屋になっており写真右手に太夫席があります

氏子総代の河内正道さんからお話を伺いました。

祭神は「大きな石」と云われており、奈良時代には存在していた模様。

江戸時代から「大石神社」と言うようになったようです。

石凝姥命/伊斯許理度売命(いしこりどめのおみこと)をお祀りしています。

本殿は江戸時代、拝殿は江戸末期に建てられ、本格的な改築が明治29年に行われて現在の形式(歌舞伎舞台)に変えました。

2階が楽屋になっており、大きな梁が入っています。

神社に向かって右手のところに太夫席があり、三味線や浄瑠璃語りの太夫さんが進行を見ながら語りをしていました。

明治の改築以降は、神社周辺の川上地区と篠原地区の人たちが中心となって『篠川劇団』を作り、歌舞伎を演じてていたとのこと。

振付師も地区内に住んでおり、村全体で熱心に行っていたようです。

改築当時、地域に積立金があり、土地を30町歩買う話も出ましたが「歌舞伎衣装を買う」ことに決め、浅草で230点購入してきたという話が残っています。

村歌舞伎は明治から昭和にかけて脈々と続いてきましたが、段々と村を出て勤めに行く人が増えていったために生活時間が変わり、稽古できる時間が減少。

昭和40年、横浜高島屋にて行われた民俗芸能祭での村歌舞伎演技を最後に、歌舞伎衣装を神奈川県立歴史博物館へ寄贈して(現在も展示中)、村歌舞伎は終わりを迎えました。

>>篠原歌舞伎の地芝居衣装について(神奈川県立歴史博物館)

その後…藤野芸術村構想で多くの芸術家が移り住んできた中に、人形使いの吉田貫禄さんがいらっしゃり、「文楽の舞台に使いたい」ということで、平成6年から18年間、人形浄瑠璃の芝居がこの大石神社で開催されていました。

気鋭の若手も勢揃いし、本格的な舞台が展開されていたようです。

2011年3月の東日本大震災を受け、活動拠点を大阪に移すことをきっかけに終了。

現在は篠原地区の住民にて、毎年8月に祭典が行われており、神社の境内と周り舞台はカラオケやお芝居などに利用されています、

周り舞台。左手の四角い穴から舞台下に入り、舞台を回します。

周り舞台は、舞台の下に円錐状のスペースがあり、大人が2〜3人入って舞台を回すことができます。

参加者さん数名で実際に動かしてみました。

studio fujino

午前中最後の訪問先は『ギャラリー&カフェ studio fujino』です。

>>studio fujino Instagram

藤崎均さん(木工家具職人)にご説明いただきました。

studio fujino全景(2023年12月)
studio fujino全景(2023年12月)

近所に住む大工さんが建てたと云われている築140年ほどの古民家を1年半かけてリフォームし、家具のショールームとカフェを併設したギャラリー&カフェとしてコロナ禍にオープン。

イタリアから日本へ拠点を戻すにあたり、都心からアクセスが良く、大きなスペースがあるところを探していたときに行き着いたのが藤野だったそう。

都内では見られない、古民家を使った空間づくりをしています。

そのためか、来訪者の半数が東京など都心の方とのこと。

土日祝日、12時からオープンしていますので、詳細は上記のInstagramリンクからご確認ください。

水団作り体験(昼食)

昼食は牧野公民館にて、藤野の郷土料理『煮団子(水団)』作りを体験しました。

水と粉、塩少々を加えて練り込みます
水と粉、塩少々を加えて練り込みます

昔の藤野(昭和20年代)は、ほとんどが農家で養蚕をしていました。

子どもはひと家族平均8人くらいいたので、子どもたちに食べさせるのが大変だったようです。

畑仕事は小さい頃から親や大人と一緒に行っており、小学生の頃にはもう一人前と言われていたそう。

藤野は平地がないので、山の頂上まで斜面に畑が作られ、そこの登り降りを繰り返し。

道具や堆肥、作物の運搬はもちろんのこと、雨などで下の方に溜まった土を上の方へ上げるような作業もあり。

すべて人力で行われていました。

親や大人たちは朝から夜まで仕事をしていた時代なので、夕飯作りは子どもたちが担うことがよくあり。

土地柄、肉や魚がなく。

一方で野菜はたくさんあるので、これらを汁物にすることで栄養が取れ、作る手間もかかりません。

子どもでも簡単に作れるため、夕飯は煮団子(水団)やうどんがほとんどだったようです。

しょうゆや味噌で味をつけたあとにスプーンで掬って入れていきます
しょうゆや味噌で味をつけたあとにスプーンで掬って入れていきます

煮団子(水団)作りは、粉と水の関係が大事で、塩を少し入れると味が引き立つそう。

小麦粉に水をおおまかに入れながら混ぜていきますが、水は細く(少しずつ)入れて、水っぽくならないよう、ダマにならないよう、ちょうどよい固さに仕上げていきます。

捏ね終えたら10分くらい置いておくと味がなじみます。

煮団子(水団)できあがり
煮団子(水団)できあがり

各家庭でそれぞれの味付けがあったようです。

ご飯にするとおかずが必要になりますが、煮団子にすると主食とおかずをまとめて食べられる手軽さがあり、地域で広く浸透していったものと思われます。

昼食を取りながら当時の食文化を教えていただきました。

タンパク源は、鶏やヤギ。

鶏からタマゴと肉、ヤギから乳を飲んでいました。

他にもトノサマガエルやマムシも炙って食べていたようです。

おやつには、うどん粉を練ってフライパンで焼いた「おたらし」や、蒸したさつまいもを食べていたとのこと。

里山の書、それぞれ思い思いの漢字一文字を書いていました
里山の書、それぞれ思い思いの漢字一文字を書いていました

煮団子作りと並行して、里山の書も参加者の方々に体験いただきました。

作品がズラリ
作品がズラリ

これらの体験、昼食を終え、牧野公民館から神原家長屋門へ向かいます。

神原家長屋門

牧野公民館からバスで5分ほどのところに、国の登録有形文化財である神原家長屋門があります。

家主の神原史郎さんから、資料や写真を交えて成り立ちや構造などをご説明いただきました。

正面から
正面から

神原家は、牧野地区の中心地「大久和」に所在し、先祖は今川家重臣で駿河蒲原城主をつとめ、戦国末期にこの地へ至ったとのこと。

建築は19世紀の初期頃と云われています。

もともと茅葺屋根の木造建築でしたが、昭和30年に杉川葺で全面を覆い、平成13年に銅板の覆いをして保存しています。

門の入り口近影
門の入り口近影

急斜面に砦のように屋敷を構えていた場所で、雪が多く降ります。

以前の大雪で、雪の重みで軒桁が沈んでしまっているところがありますが、屋根も雪が積もりにくいように施工してあるようです。

役員が公用で使っていたかご

入り口を入ったところの左右に、2つの籠が設置されていました。

ひとつは役員が公用で使ったもの、もうひとつは病人を運ぶときに使ったもの。

学校の教科書にも掲載されていたようです。

病人が出た時に運んだかご

地域の住民で夏場の草刈りなど手入れをしていますが、段々と近隣の藪化が進み、獣害が発生しているそう。

歴史的な建造物の偉大さや貴重さと、それを維持していくことの大変さ、両方を学べた時間でした。

八幡神社

最後の訪問先は同じく牧野地区にある八幡神社です。

鎌倉時代の建暦元年(1211年)に大鐘「宮の越」に創立され、嘉禄2年(1226年)に現在の場所に遷宮したと云われています。

八幡神社正面から(2023年12月)
八幡神社正面から(2023年12月)

この境内地は神原家からいただいた土地とのこと。

昼食を食べた牧野公民館や、その周辺の藤野やまなみ温泉、旧牧野小学校など、すべて神原家から土地をいただいて建てたものだそうです。

神社に上がらせていただき八幡神社の説明動画を視聴
神社に上がらせていただき八幡神社の説明動画を視聴

県西部にある江戸中期の社殿の中では、装飾性が高く貴重な歴史的資産。

本殿は寛保3年(1743年)起工、延享元年(1744年)落成。

棟梁は栃木県鹿沼市下永野の大森三左エ門と云われています。

東照宮の宮大工から技術を学び、秋山村(現在の上野原市秋山)に住んでいる間に7棟の社を建立。

八幡神社はそのうちのひとつで、神原家の主唱で社殿が建築されました。

潤沢な予算の中、規模壮大、色彩鮮明、豪華絢爛、陽明門を見るような、三左エ門が腕を振るった会心の作と云われているようです。

現在、建立から280年が経っており、劣化防止のために本殿を覆っています。

色彩、細工に参加者みな感心していました
色彩、細工に参加者みな感心していました

神社の裏手には御神木の大杉があります。

樹齢500年の大杉
樹齢500年の大杉

樹齢なんと500年。高さは50メートルに至るとても大きな木です。

この八幡神社は、藤野にある峰山(570m)の山頂に建立されている古峯神社(日本武尊を祭神とする火災の守護神)の方を向いて建てられています。

神社周辺の川はホタル鑑賞のために住民の方々により整備され、美しい里山の自然環境も堪能できる場所です。

藤野の今と昔を巡る1Dayツアー、事故や怪我もなく1日を満喫いただきました。

ご参加者の感想をまとめていますので、こちら↓もご覧ください。

2024年も秋〜冬にかけて実施予定です。

次回は沢井・佐野川方面で企画を進めていきますので、ご都合つけばぜひご参加ください。

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